あこがれのホノルルマラソン
以前から、あこがれのホノルルマラソンを走りたいと思っていた。
65才の時、たまたま通っていたスポーツジムで、5泊7日のホノルルマラソンの企画があったので参加することにした。
JALホノルルマラソンは、日本航空が特別協賛とあって、毎年2万人から3万人のランナーが走り、日本人が60%以上参加するメジャーな大会だ。
会場はオアフ島で、アラモアナ公園をスタートして、ワイキキビーチを通り、コース最大の難所ダイヤモンドヘッドを上る。
カラニアナオレ・ハイウエイを走り、ハワイ・カイの住宅街を周回してハイウエイの復路へ。
カワイクイビーチの美しい海岸線を走り、ダイヤモンドヘッドの緩やかな上り坂を上ると、真っ青な海原を見ながら、カピオラニ公園でフィニッシュという42.195キロのコース。
5泊7日の未知の世界へチャレンジ
成田空港を12月9日21時出発、日本とは17時間の時差があるので、ホノルルに着いたのが現地時間で9日朝8時着。
バスで宿泊先のイリカイワイキキホテルへ。
早速、ゼッケンと記録計測のチャンピオンチップを、ハワイ・コンベンションセンターで受け取り、2台のバスでコースの下見に出かけた。
気温は30度あるが湿度が低いので、カラッとして暑さが感じられない。
車窓から見るコースは夢にまで見た美しい海原が続き、特にダイヤモンドヘッドと海岸線はなんとも言えない景色だ。
10日、朝6時起床。
アラモアナビーチパークで全員集まり、元気よくストレッチ体操、軽くジョギングをして汗を流した。
この日はショッピングをしたり、街をぶらついたりして英気を養った。
11日、大会の朝を迎えた。
還暦からダイエット目的に散歩から始まり、ジョギングからマラソンに興味を持ち、10キロ、ハーフマラソン大会を何度か完走してきた。
走れるということは、健康で元気な体力に感謝しなければならない。
いよいよ夜明け前のスタート
朝2時45分、スタート会場のアラモアナパークへと向かう。
スタートの位置は、完走予想タイムの速いランナーから順に前から並び、私は4時間台のプラカードのところに陣取った。
2万5千人のランナーが、闇夜の中で一寸の隙間がないくらい肩と肩を触れ合って並ぶ光景は異様だった。
5時、いよいよスタートの花火が打ち上げられた。
辺りはまだ暗く、街にはクリスマスツリーの灯りがともり幻想的な光景だ。
年に一度のお祭り騒ぎで、あちこちで地元の人達がジョッキーを片手に、奇声をあげたりして応援している姿が楽しそうに見える。
コースは6車線の道路いっぱいに、ゆっくりとランナーが元気よく走っていく。
日本からは、浅井えりこ、長谷川理恵といったランナーが招待され、大会を盛り上げている。
10分後くらいにスタート地点を通過。
この日のために指導してきた、女性の坂本さんと一緒に走っていたが、途中ではぐれてしまい、大丈夫かなと心配しながら走っていた。
大きい外人に混じって、30才台の活発そうな女性が目立つ。
ダイヤモンドヘッドから見る幻想的な世界!
ダイヤモンドヘッド15キロ地点のダイヤモンドヘッドの頂上から見る朝日は幻想的で今でも脳裏に焼きついている。
10キロ1時間に10分。
20キロ2時間20分だ。
ハワイ・カイの高級住宅街に入ると庭先から、若々しいシルバーご夫妻のウォーターシャワーのサービスがあったりして、ランナーを癒してくれている。
その先の折り返し地点で、私の後ろから来るランナーが延々と続いているのが見える。
みんな楽しみながらのんびりと走っている。
カワイクイビーチ公園で32キロ。
この頃から足が重くなり、氷で足を冷やしたり、頭から水をかけたりして、ほとんど歩き状態になってしまった。
38キロ付近のダイヤモンドヘッドの上りにきたら、一番苦しい地点なのでほとんどのランナーが体力を消耗して歩いている。
人生最高の達成感を味わう!
行きと違って帰りは、美しい景色など目に入らない。
やっと下りの2キロの標識があり、急に元気になり最後の力を振り絞り、体力勝負だ。
やがてフィニュシュの横断幕が目に入り、両サイドには沢山の応援者で埋まっている。
ああ、やっとの思いでGOAL。
タイムは5時間1分だった。
戦いは終わった。
同じスポーツジムの若い女性の坂本さんが、フルマラソンは初めてというので、大会一ヶ月前から色々指導して、一緒に練習してきた。
その甲斐があり、6時間位かかると思っていたら、5時間25分にゴールしてきた。
おめでとう! 若いって素晴らしいな!
お互いに完走を祝って健闘をたたえた
次の日には、街を歩く人はほとんど足を引きずっていたのが印象的だった。
次回、ホノルルを健康で走る機会があったら、美しい景色を見ながら、のんびり走ってみたい。
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